これ以前は、「しんちゃんの舞台裏日記」をご覧ください。

2012年8月30日木曜日

原稿を書く

事務所にこもる時間がとれたので、原稿2本の目処がたちました。

原稿というと、20歳代の頃、初めて原稿を書いたときのことを思い出します。
社会に出て間がない頃です。少林寺拳法連盟の月刊誌の会報の原稿を書くように、と上司から言われました。
文章を書くのは、子どもの頃から、そんなに苦手ではなかったんです。作文の時間は、まったく苦ではなかったですから。
そんなわけで、適当にサラサラサラッと書き上げました。たったの2ページの原稿でしたからね。
そして、編集長に見せたら、つき返されました。
書き直して、また見せたら、またつき返されて。
何と、最初は、80回も書き直したんです。
月刊誌の会報だったので、毎月、そんな感じだったんです。
もう地獄の毎日でした。
さすがに、80回の書き直しは、最初の数ヶ月でしたが、それ以降、10回以上の書き直しが、何年間も続いたのです。
編集長には、心の中で、「自分で書けばいいのに」と恨みごとを言っていました。
いつしか、原稿を書くときには、編集長の顔色を見るようになっていました。
編集長の言う意味がやっとわかったとき、ぼくはもう30歳代でした。
阪神大震災が起こった翌月でした。
ぼくの担当ページは、テーマが決まっていたのですが、神戸に行って、現場を目の当たりにしたぼくは、どうしても、阪神大震災のことを書いて、多くの人に呼びかけたかった。
編集長に相談する間もなく、ぼくの思いを書きました。
これで、つき返されたら、この担当はおろさせてもらおうと覚悟を決めていました。
だから、何度も、何度も、見直して、口を真一文字に結んで、編集長に渡しました。
読み終えた編集長は、「ええ原稿や」と一言。初めての一発OKです。
そのときに、わかったんです。
原稿を書くときに、一番大事なことは、自分が本当に伝えたいことは何なのかを、自分自身に何度も、何度も問いかけて、鮮明にすること。
それがわかるのに、ぼくは10年近くかかりました。

今日、書いた、2本の原稿も、何度も自分自身に問い直しました。
新しい発見もありました。
多少のしんどさを伴うこの作業だからこそ、書き終えたあとは、運動をしたあとのような爽やかな気分です。
それを味わえるのも、あのときの厳しい編集長のおかげです。


ブックドクターしん

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