これ以前は、「しんちゃんの舞台裏日記」をご覧ください。

2013年6月8日土曜日

12年前の今日

今日は、ぼくにとっては特別な日です。
12年前の今日、大きな事件が起きました。池田小学校事件です。
8人の子どもたちが、凶悪な男に、刺殺された事件です。
12年前のメルマガで書いた思いは、今も変わっていません。

大阪の池田小学校でとんでもない事件が起きてしまいました。
当日の昼前に、嫁はんからのメールで事件があったことを知りました。「えっ!!」という感じでわけがわかりませんでした。思わず、職場のテレビのスイッチを入れると、ある程度、詳細がわかってきた。
小学校の1、2年生といえば、ぼくの娘と同じです。感情的にならざるを得ません。さぞ、恐かったろう、痛かったろう、お母さんが来てくれると思ってたろう…。思わず、仕事中であるにも関わらず、涙が出てきました。
その日は、仕事が手につきませんでした。

夜中、家に戻ってから、子供たちの寝顔を確認すると、ホッとしたけど、全然すっきりしません。
お茶をすすりながら、嫁はんとの話の中心は、当然、この事件のこと。
話していると、抑えきれなくなって、「かわいそうに…」とグショグショになって泣きました。亡くなった子供たちの命と交換できるものなら、ぼくの命を差し出したかった。たぶん、結婚以来、嫁はんの前で大泣きしたのは、初めてのことです。
嫁はんも一緒に泣きました。
何ともいえない一日でした。

犯人は、もちろん憎い。憎いどころか、この世から抹殺したいですね。
でも、亡くなった子供たちには、ぼく自身、なぜか「ごめんな」って謝りたいんです。
犯人に対する憎悪よりも、こんな社会しか作ってこなかったおとなのひとりとして、「ごめんな」なんです。

テレビニュースで、犯人の父親に、ドア越しでインタビューしているシーンが出ていました。
あの父親の反応が信じられませんでした。まるで他人事のように淡々と話しているんです。
犯人があんな事件を起こしたのは、あの父親との家族関係も影響があると思います。
つまり、おとなが問題なんです。
あの犯人やその父親と、ぼくは何の関係もありませんが、ぼくは、今の社会を作っているおとなのうちのひとりなんです。そういう意味で、やっぱり責任を感じてしまいます。

偉そうなことを言うと、ぼくはぼくなりに、これまで、"ちゃんとしたおとなの社会"をつくるために様々な活動を行なってきたつもりです。この社会でぼく自身が感じた不満や不信感が原点となって、それを変えるための新しい仕組みを創造したい、という思いで、本業以外のプライベートの時間を使って、いくつかのコミュニティ運営の他、様々な活動を行なってきました。

でも、子供たちの命を救うことには、何の役にも立たなかった。
無力感を感じているのではありません。まだまだ足りないと思うんです。
今までは、「こういう社会になればいいなあ」という願いだけでしたが、今回の事件で亡くなった子供たちが、ぼくに決心をさせてくれました。

ぼくは、"ちゃんとしたおとなになるための活動"をやり続けます。
ぼくらが住んでいる社会を創るのは、どこかの誰かがつくるのでなく、おとなのぼくら以外にないのですから。


8人の天使たちへ:
何もしてあげられない…、君たちをずっと忘れないことしか。

(2001年6月10日 コミュニケーション・ジャーナル vol.23より)


あれから12年。
ぼくは、もっともっと、がんばらなければ。

4 件のコメント:

  1. 少林寺拳法名古屋桃山道院 米住隆史2013年6月8日 23:09

    伸さん、名古屋の米住です。
    宗道臣デー合同練習会公演、改めてありがとうございました♪

    大阪府池田市は私の実家で、家の近くに池田小学校があります。

    厳戒体制の街でたくさんの警察官、パトカー、報道陣。小学校近隣を通るたびに検問や職務質問。
    好奇心による、心のない第三者たち。

    言葉では表現できない異様な雰囲気。
    今でも強烈に覚えております。

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    1. 米ちゃん、おぼえていてくれて、ありがとう。
      ぼくがお礼を言うのもおかしいけど、きっと、8人の天使たちも、忘れないでいてくれることを、喜んでくれていると思うんだ。

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  2. しんさんの活動の原点や根底はここにあるんですね。
    大事な思いを聞かせてもらった気がします。

    大学生だった私は、この日
    偶然にも大阪の救急の病院見学でした。
    そこに、運ばれてきました。

    当時は自分の持っている携帯にも
    今のようにリアルタイムには情報が入ってこなかったので
    何が起こっているかわからずに
    帰宅してから、
    こんなことが起こったんだと思ったことを覚えています。

    ただ、運ばれてくるすごく不安そうな子どもの姿を見て
    救急処置も大事だけど
    これからの心の介入がすごく必要なんだと学生ながらに
    思った気がします。

    何年後かに教職について現場にいましたが
    これが教訓になっていることはたくさんありました。
    悲しいけれど、忘れてはいけない日ですね。




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    1. あれから数年度、偶然、被害者の子どものお母さんと知り合いました。
      その子が運ばれた病院に、唯公ちゃんもいたのかもね。
      不思議なご縁だね。
      生きていたら、うちの娘と同じ、今年20歳です。

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