結果が出ているかどうかわらなけど、24年目もやり続けています。 
(以下、2001年6月10日 コミュニケーション・ジャーナル vol.23より) 
 大阪の池田小学校でとんでもない事件が起きてしまいました。 
 当日の昼前に、嫁さんからのメールで事件があったことを知りました。 
「えっ!!」という感じでわけがわかりませんでした。 
思わず、職場のテレビのスイッチを入れると、ある程度、詳細がわかってきた。 
小学校の1、2年生といえば、ぼくの娘と同じです。
感情的にならざるを得ません。
さぞ、恐かったろう、痛かったろう、お母さんが来てくれると思ってたろう…。 
思わず、仕事中であるにも関わらず、涙が出てきました。 
その日は、仕事が手につきませんでした。 
夜中、家に戻ってから、子供たちの寝顔を確認すると、ホッとしたけど、全然すっきりしません。 
お茶をすすりながら、嫁さんとの話の中心は、当然、この事件のこと。 
 話していると、抑えきれなくなって、「かわいそうに…」とグショグショになって泣きました。 
亡くなった子供たちの命と交換できるものなら、ぼくの命を差し出したかった。 
たぶん、結婚以来、嫁さんの前で大泣きしたのは、初めてのことです。 
 嫁さんも一緒に泣きました。 
何ともいえない一日でした。 
犯人は、もちろん憎い。
憎いどころか、この世から抹殺したい。 
でも、亡くなった子供たちには、ぼく自身、なぜか「ごめんな」って謝りたいんです。 
犯人に対する憎悪よりも、こんな社会しか作ってこなかったおとなのひとりとして、「ごめんな」なんです。 
テレビニュースで、犯人の父親に、ドア越しでインタビューしているシーンが出ていました。
あの父親の反応が信じられませんでした。 
まるで他人事のように淡々と話しているんです。 
犯人があんな事件を起こしたのは、あの父親との家族関係も影響があると思います。 
つまり、おとなが問題なんです。 
あの犯人やその父親と、ぼくは何の関係もありませんが、ぼくは、今の社会を作っているおとなのうちのひとりなんです。 
そういう意味で、やっぱり責任を感じてしまいます。 
偉そうなことを言うと、ぼくはぼくなりに、これまで、"ちゃんとしたおとなの社会"をつくるために様々な活動を行なってきたつもりです。 
この社会でぼく自身が感じた不満や不信感が原点となって、それを変えるための新しい仕組みを創造したい、という思いで、本業以外のプライベートの時間を使って、いくつかのコミュニティ運営の他、様々な活動を行なってきました。 
でも、子供たちの命を救うことには、何の役にも立たなかった。 
 無力感を感じているのではありません。まだまだ足りないと思うんです。 
今までは、「こういう社会になればいいなあ」という願いだけでしたが、今回の事件で亡くなった子供たちが、ぼくに決心をさせてくれました。 
ぼくは、"ちゃんとしたおとなになるための活動"をやり続けます。 
 ぼくらが住んでいる社会を創るのは、どこかの誰かがつくるのでなく、おとなのぼくら以外にないのですから。 
8人の天使たちへ: 何もしてあげられない…、君たちをずっと忘れないことしか。
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