ぼくは関係者ではないけど、ぼくにとっても特別な日です。
22年前の今日、池田小学校事件がありました。
8人の子どもたちが亡くなりました。
生きていれば、ぼくの娘と同じ29才、30才です。
当時、発行していたメールマガジンに、事件2日後、自分の気持ちを記しました。
あれから22年。ぼく自身、模索しながら、ぶつかりながら、ほんの小さなことばかりで、行きつ戻りつですが、未だにチャレンジし続けていると思います。
そして毎年、この日に、8人の子たちに伝えたいことがあります。
「きみたちのこと、ずっと忘れてないよ」
(2001年6月10日 コミュニケーション・ジャーナル vol.23より)
大阪の池田小学校でとんでもない事件が起きてしまいました。
当日の昼前に、嫁さんからのメールで事件があったことを知りました。
「えっ!!」という感じでわけがわかりませんでした。思わず、職場のテレビのスイッチを入れると、ある程度、詳細がわかってきた。
小学校の1、2年生といえば、ぼくの娘と同じです。感情的にならざるを得ません。さぞ、恐かったろう、痛かったろう、お母さんが来てくれると思ってたろう…。思わず、仕事中であるにも関わらず、涙が出てきました。
その日は、仕事が手につきませんでした。
夜中、家に戻ってから、子供たちの寝顔を確認すると、ホッとしたけど、全然すっきりしません。
お茶をすすりながら、嫁さんとの話の中心は、当然、この事件のこと。
話していると、抑えきれなくなって、「かわいそうに…」とグショグショになって泣きました。亡くなった子供たちの命と交換できるものなら、ぼくの命を差し出したかった。たぶん、結婚以来、嫁さんの前で大泣きしたのは、初めてのことです。
嫁さんも一緒に泣きました。
何ともいえない一日でした。
犯人は、もちろん憎い。憎いどころか、この世から抹殺したい。
でも、亡くなった子供たちには、ぼく自身、なぜか「ごめんな」って謝りたいんです。
犯人に対する憎悪よりも、こんな社会しか作ってこなかったおとなのひとりとして、「ごめんな」なんです。
テレビニュースで、犯人の父親に、ドア越しでインタビューしているシーンが出ていました。
あの父親の反応が信じられませんでした。まるで他人事のように淡々と話しているんです。
犯人があんな事件を起こしたのは、あの父親との家族関係も影響があると思います。
つまり、おとなが問題なんです。
あの犯人やその父親と、ぼくは何の関係もありませんが、ぼくは、今の社会を作っているおとなのうちのひとりなんです。そういう意味で、やっぱり責任を感じてしまいます。
偉そうなことを言うと、ぼくはぼくなりに、これまで、"ちゃんとしたおとなの社会"をつくるために様々な活動を行なってきたつもりです。この社会でぼく自身が感じた不満や不信感が原点となって、それを変えるための新しい仕組みを創造したい、という思いで、本業以外のプライベートの時間を使って、いくつかのコミュニティ運営の他、様々な活動を行なってきました。
でも、子供たちの命を救うことには、何の役にも立たなかった。
無力感を感じているのではありません。まだまだ足りないと思うんです。
今までは、「こういう社会になればいいなあ」という願いだけでしたが、今回の事件で亡くなった子供たちが、ぼくに決心をさせてくれました。
ぼくは、"ちゃんとしたおとなになるための活動"をやり続けます。
ぼくらが住んでいる社会を創るのは、どこかの誰かがつくるのでなく、おとなのぼくら以外にないのですから。
8人の天使たちへ:
何もしてあげられない…、君たちをずっと忘れないことしか。
絵本のしんちゃん
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